2011年11月5日
キマグレンとともに、逗子海岸は消滅するのか・・
私は逗子で生まれ、逗子で育ちました。半世紀以上、逗子の海を見てきましたが、この数年、逗子海岸の砂浜の状況は一変しました。最初に一変したのは、昭和40年代初頭、国道134号線が通ったことでしたが・・
1つは、流砂が止まらず、養浜しても焼け石に水、といった感じです。もう1つは、キマグレンを代表とするライブハウスが、海岸にお目見えしたことです。夏の間、海岸は若者であふれています。この情景は、逗子の人間には異様とさえ映ります。何しろ、日中の駅前には、若者の姿は見られず、高齢化のまちそのものなのですから。
そして、今年9月、1つの事件がありました。キマグレンが所有するライブハウスの撤去後に杭が残され、台風の襲来後に、それらが露出してしまったのです。昨日、常任委員会が開かれ、キマグレン(音遊の代表取締役)が参考人に来られました。杭の撤去について、率直に謝っておられましたが、私は、とても複雑な思いで受け止めました。逗子の海への思いを素直に述べられる姿は、とても好感が持てました。
しかし、逗子海岸の命は、そう長くはないのではないか、という思いがあるからです。何の根拠もありませんが、大きなライブハウスを建てるために、多くの杭が砂浜に打込まれ、その振動は、砂の流砂、流出につながらないのでしょうか。人々が大勢集う夏の海岸は、それはそれで良い風物詩ですが、あと何年、それらを続けていけるか、それはまた別問題です。
1つは、流砂が止まらず、養浜しても焼け石に水、といった感じです。もう1つは、キマグレンを代表とするライブハウスが、海岸にお目見えしたことです。夏の間、海岸は若者であふれています。この情景は、逗子の人間には異様とさえ映ります。何しろ、日中の駅前には、若者の姿は見られず、高齢化のまちそのものなのですから。
そして、今年9月、1つの事件がありました。キマグレンが所有するライブハウスの撤去後に杭が残され、台風の襲来後に、それらが露出してしまったのです。昨日、常任委員会が開かれ、キマグレン(音遊の代表取締役)が参考人に来られました。杭の撤去について、率直に謝っておられましたが、私は、とても複雑な思いで受け止めました。逗子の海への思いを素直に述べられる姿は、とても好感が持てました。
しかし、逗子海岸の命は、そう長くはないのではないか、という思いがあるからです。何の根拠もありませんが、大きなライブハウスを建てるために、多くの杭が砂浜に打込まれ、その振動は、砂の流砂、流出につながらないのでしょうか。人々が大勢集う夏の海岸は、それはそれで良い風物詩ですが、あと何年、それらを続けていけるか、それはまた別問題です。

